今回のキャンプは妻の希望により、我が家の定番朱鞠内湖に早くから決まっていた。
ところがその日は、カヌークラブの納会キャンプと見事にバッティングしてしまったのである。
この納会キャンプの会場は洞爺湖のとあるキャンプ場、中島までの早朝カヌーツアーに、カヌーやアウトドア用品のバザー、それに豪華賞品が盛りだくさんの水上大運動会と魅力のあるイベント盛りだくさんで、かなり心が惹かれていた。
朱鞠内湖キャンプの日程は、別に何時にずらしても何の問題も無いのだが、今年の我が家の活動はカヌーにかなり比重が傾いていたので、秋の静かなキャンプシーズンだけは何時も通りの我が家のペースで楽しみたかった。
ちょっとだけ未練を感じながらも、予定通り朱鞠内湖へ向けて出発した。
途中で、これも最近の我が家の定番になってきた、幌加内のほろほろ亭に寄って蕎麦を食べる。
12時前には店に着いたのに既に小さな店内は満席、それでもちょっと待っただけで席に着けて、美味しい新蕎麦を味わうことができた。
幌加内から朱鞠内へかけての紅葉は、少し盛りを過ぎた感じだがそれでもまだまだ楽しめる。例年よりも紅葉の時期が遅れているのが幸いしたようである。
キャンプ場は釣り人の車が数台停まっている程度で、キャンパーの姿は見当たらない。
何時もならば、ここでしばらくサイト選びに頭を悩ませるところだが、今回は第3サイトの細い岬の先端にテントを張ろうと最初から決めていた。
ここならば行き止まりになっている場所なので、釣り人の車の進入に悩まされることも無く、目の前に広がる朱鞠内湖の風景を思う存分満喫できる場所である。
しかし、トイレや水場からは思いっきり離れてしまうことになり、しかも高低差もかなりあるので、健脚者向けコース、いや、健脚者向けサイトと言えるかも知れない。
一息ついたところで場内をぐるりと回って見ることにした。
天気も良くて木々も綺麗に色付き、こんな時ならばどこにテントを張っても快適な時間を過ごすことが出来そうだ。
第2サイトの林間部分も落ち葉の絨毯が敷き詰められ、とても良い雰囲気である。
我が家はこの付近には一度もテントを張ったことが無いが、実は妻の密かなお気に入りの場所なのでもある。
「今回は、あなたの意見に従ったから、この次にテントを張る時は私が場所を決めるわね。」
まだ着いたばかりだと言うのに、早々と次のキャンプの予定まで考えているとは呆れた奴である。
今回は2泊の予定なので、2泊目にこちらに移動してくるのも面白いかもしれない。同じキャンプ場でも全く違ったキャンプが楽しめそうだ。そんな考えがちょっとだけ頭を横切った。
散歩からの帰り、トイレからの帰り、自分のテントサイトに戻る時は途中で枯れ枝を集めてくること。手ぶらで戻ってくるような無駄なことをしてはいけない。朱鞠内湖キャンプで染み付いた我が家の性である。
今回は久しぶりに直接地面の上で焚き火を楽しむことにした。薪を単純に燃やすだけならば、焚き火台を使ったほうが効率的なのだが、やっぱりそれでは味気ない。
上手く火が全体に回るように焚き火に付っきりで世話をしながら、煙に包まれ涙を流し、時折飛び散る火の粉にヒヤッとし、手を焦がしそうになりながら櫛に刺した魚やウィンナーを火にかざす。
たっぷりと拾い集めた枯れ枝のおかげで楽しい夜を過ごすことが出来そうだ。
拾ってきた中に1本だけ太くて長い枝があった。こんな枝があると、それを綺麗に燃やし尽くすことに生きがいを感じてしまう。
黒焦げの太い薪がキャンプ場に転がっているのを良く見かけるが、そんな燃え残しを出すような焚き火はやってはいけない。全ての薪が最後の白い灰になるまで燃やし尽くすのが焚き火の美学である。
なんて言って、そんな燃え残りの薪が残っていたりすると、思わず喜んで拾ってしまうのが我が家の常なのだが。
夕方になると、それまで湖の表面にさざ波を立てていた風もピタリと止んで、静かな湖面が戻ってきた。
10月半ばの朱鞠内湖だと言うのに、まだまだ焼肉にビールが美味しく感じる気温である。
食事が終わって食器などを片付けた後、ガソリンランタンの灯を消した。
すると突然、辺りに静寂が訪れ、暗闇の中でチロチロと炎をあげる焚き火が小さくはぜる音しか聞こえなくなった。対岸の林の中からは微かに虫の声さえ聞こえてくる。
他に数組のキャンパーがテントを張っていたが、それぞれの間隔も十分に開いているので、話し声も聞こえてこない。
この静けさは朱鞠内湖ならではのものである。
自然と2人の会話も囁き声になってくる。必要以上に大きな声で話す必要は何も無いのだ。
ふと空を見上げると、それまでかかっていた薄い雲も無くなり、満天の星空が広がっていた。西の空には木の影に沈んでいく三日月の姿も見える。
暗闇の湖からは、時折魚の跳ねる音が聞こえてきた。
最初に考えたキャンプ場の中で移動しようと言う考えは、この時にはすっかり頭の中から消え去ってしまっていた。
初めから入れておいた一番太い枝が燃え尽きたところで今日の焚き火はお開き、満足してテントの中にもぐり込んだ。
キャンプでは早起きの方の私だが、この時期まだ辺りも薄暗く、シュラフの気持ちの良い温もりでなかなか起きだす気にはなれない。
それでも、先に目覚めていた妻がテントの外を覗き「青空が広がっているわよ」と声を上げるのを聞いて、あわててシュラフの中から飛び出した。
まだ太陽は昇っておらず、朝靄が朱鞠内湖を低く覆っていた。
あちらこちらで魚の跳ねる音と、それによって出来た波紋が静かに広がっていく様子が見られる。
やがて、朝靄を追い払うかのように太陽が昇ってきた。
こんな朝は忙しい。焚き火に火を付けなくてはならないし、コーヒーも沸かさなければ。素晴らしい朝の風景を写真に撮りたいし、その前に顔を洗ってすっきりしたい。それに朝靄の湖にカヌーで漕ぎ出すのも最高だ。
アッ、また魚が跳ねた。そういえば今回は久しぶりに釣りもする予定だったんだ。
朱鞠内湖キャンプでの最高の時間は、何時も朝に訪れる。
その僅かな時間を思いっきり楽しむためには、本当に忙しくて大変なのである。
コーヒーを飲みながらそんな朝日の様子を眺めていると、太陽をはさんだ両側に虹のように光っている部分があるのに気がついた。
何ヶ月か前の新聞記事に載っていた「幻日」という現象なのかも知れない。
それほど大したものでは無いなー、などと思いながらそのまま何気なく頭上を見上げて驚いた。その空の天頂にははっきりとした虹が架かっていたのである。
「エッ?」
最初は太陽の周りに現れたカサの一部かと思ったが、太陽とは逆向きの円弧であり、間違いなく虹である。
それにしても、天頂に架かる虹なんて見たことが無い。
夢中でカメラのシャッターを切った。
後で帰ってきたから調べたところ、それは「環天頂アーク」という気象現象だそうだ。
私も始めて目にする現象だったが、それにしてもやっぱり朱鞠内湖である。何時も我が家に新たな感動をもたらしてくれる。
一息ついて、久しぶりに釣り糸を湖に垂らしてみた。
我が家の中での釣りは、本当にキャンプのおまけみたいな存在だ。時間の余裕が出来たら竿を出して、ウグイでも何でも良いから数匹釣れたらそれで満足、その程度である。
朱鞠内湖での他の釣り人は殆んどがルアーだが、我が家は安物の延べ竿でのえさ釣りである。
1匹目の釣果は小さなウグイだったが、2匹目に20cmくらいのサクラマス(ヤマメ?)が釣れた。
久しぶりに釣ったウグイ以外の魚である。
大きさもまずまずだったので、直ぐにそのまま焚き火の火で焼いて美味しくいただいた。
代わって今度は妻が釣りを始めたが釣れるのはウグイばかり、何時もならばそれで満足しているはずなのだが、私の釣ったサクラマスを見てやたら闘志を燃やしているみたいだ。
岸からは無理だと思ったのか、今度はカヌーに乗って釣りたいと言い出した。
妻の希望を適えるために対岸のポイントまで行って、魚が逃げ出さないようにゆっくりとパドリングしてカヌーを操作する。
妻は「模様の付いた魚、模様の付いた魚」と呪文を唱えながら必死になってウキを見つめている。
すると、そのウキがスッと水面に吸い込まれた。
暴れる魚を釣り上げると、その魚には見事に模様が付いていた。20cm以上のアメマスだった。
「やったー!」、妻は満面の笑みである。
結局、今回釣れた模様の付いた魚はこの2匹だけ、それでも久しぶりの釣りはとっても楽しかった。
この時、釣りとは別に、小さな谷間の川の流れ込み部分までカヌーで入って行ったのだが、突然カヌーが何かにゴツンとぶつかり、その近くを底の泥を巻き上げながら黒い物体が泳ぎ去った。
カヌーがぶつかった付近には、別に枝などが沈んでいたわけではなくて、明らかにその物体がカヌーに体当たりした時の衝撃だったのだろう。
それが何だったのか、正体は謎である。
その日の昼間、隣のウツナイ湖まで出かけてみることにした。
ウツナイ湖自体は木の合間から僅かにその姿を垣間見ることが出来るだけだったが、地図を見るとその道路の先に二重滝と呼ばれる滝があるみたいだ。
道幅も狭く荒れたダート道だったが、その滝を見るために車を走らせる。
しかし、なかなかその滝らしい場所が解らない。とうとう地図上の滝の場所を通り過ぎてしまったようである。
しょうがないので、釜ヶ淵入り口という看板を見つけたので、目的をそちらに変更することにした。
何だか、その名前がとってもおどろおどろしくて、釜ヶ淵がどんな場所なのかとっても興味が湧いてくる。
車を降りて歩き出したが、その先は水が所々に水溜りがあったりして、その度にフウマが泥まみれにならないように抱きかかえながら進まなければならない。
結局、途中で先に進むのは諦めてしまったが、これは是非近いうちに再チャレンジして、釜ヶ淵の実態を見極めてみたいものである。
キャンプ場に戻ると、テントの中にかなりの数のテントウムシが侵入していた。
前回のヌプカの里ではキャンプ場のトイレがテントウムシの巣と化していたり、他の場所でもテントウムシの異常発生が伝えられ、何だか今年は様子が変だ。
ホームページの掲示板ではバンガローの中でカメムシが異常発生という書き込みもあり、確かにこの時もテントウムシに混ざってカメムシ達も結構目に付いた。
それとは関係無いが、場内のミズナラの木も今年は全くドングリを付けていない。
微妙な自然の変化はあるものの、朱鞠内湖でのキャンプの快適さに全く代わりはない。
この日も夕方になると、決まった様にと風が止み、最高の焚き火日和となった。
上空には雲が広がってきたが、それさえも時々朱鞠内湖の上空だけが雲が割れて、その奥の星の姿を楽しまさせてくれる。
夜中には雨の予報が出ており、所によっては雷を交えて強く降るとのことだった。
これもまたワクワクしてくる。こんなに素晴らしい天気に、初めて見る気象現象、おまけに私の大好きな雷の演出までしてもらったら、本当にもう言うこと無しである。
さすがにその期待は外れ、雨は夜中にパラパラと軽くテントを鳴らしただけで止んでしまったようである。
翌朝も、朱鞠内湖は同じように朝靄に包まれ何時もの静かな表情を見せていた。
しかし少しだけ違ったのは、昨日と比べて全くの無風だったことである。昨日の朝も風は感じられず、湖の表面にも波一つ立っていなかったが、今朝はそれ以上に空気の動きが感じられない。
気温は6度まで下がっていたが、その性か寒ささえも体に伝わってこない感じだ。
湖の湖面は、これが正に鏡のような湖面と言って間違いないくらいに、周りの景色を全くの歪みも無くその中に映し出していた。
やがて、朝靄を突いて太陽の光が差し込んでくると、これが鏡の湖面に反射して強烈な光を発して辺りを照らし出した。
しばらくの間、その何ともいえない壮絶な朝の景色に圧倒されて、ただただ湖を眺めるだけである。
そのうちに妻がすくっと立ち上がり、いきなりライフジャケットを着込み始めた。その鏡のような湖面にカヌーで漕ぎ出そうと言うのだ。
私はちょっとあることが気になったが、笑って見送ってあげた。
妻がカヌーを浮かべると、静かな湖面に小さな波紋が広がっていった。
カヌーのシルエットが逆行の中に浮かび上がり、なかなか格好良い。しかし、それもちょっとの間だった。
静寂を破られて湖の神様が怒りだしたかのように、それまでは鏡のようだった湖面に小さなさざ波が広がってきたのである。
実は、妻が漕ぎ出す時に、湖の遠くでさざ波が立ち始めたのに気がついていたのだ。ほんの僅かな風ではあるが、湖の静寂を乱すには十分なものだった。
妻が乗ったカヌーはそんな僅かな風にでも翻弄されてしまい、クルクルと回って前に進めない。
昨日初めて一人でカヌーに乗り、やっと真っ直ぐ前に進むことが出来るようになったばかりなのだ。
やっと岸まで戻ってきたが、本当に湖の神様に怒られてしまったみたいで、とても可笑しかった。
こうして我が家の2泊3日の朱鞠内湖キャンプは終わったが、キャンプって本当に素晴らしい、しみじみとそう感じた。
もしも洞爺湖の水上大運動会に出ていたらこんな感動は味わえなかっただろう。
今回の選択も正解だったみたいだ。
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