稚内に到着したのは午後の3時、今日のキャンプ予定地クッチャロ湖へ早く出発したいが、まずは夕食用の買出しだ。
今日の天気予報は夕方から雨ということになっている。
礼文島を出る頃はまだ晴れ間ものぞいていたのに、稚内は曇り空、これから向かう宗谷岬の方には真っ黒な低い雲が垂れ込めていた。
キャンプ旅行中に1回くらいはバーベキューをしようと考えていたが、寒い日ばかりが続いていたので、札幌から持ってきた備長炭と豚トロがまだ手付かずのままだ。
こうなったら雨が降っても最後の夜はバーベキューにするぞと、駅前の肉屋で牛肉を仕入れてから、クッチャロ湖へと向かった。
宗谷岬へ近づくにしたがって天気はますます悪くなり、風も強く海霧が立ち込め、せっかくの宗谷岬も素通りするしかなかった。
灰色のオホーツク海は心を憂鬱にさせる。モノトーンの世界の中で、道路沿いの斜面に咲いている黄色のエゾカンゾウの花だけが心を慰めてくれた。
しかし、そこでも法面工事が行なわれており、自然のままの美しい斜面が人工的で味気ないものに作り変えられている。
雪崩やがけ崩れを防ぐという名目なのだろうが、道路と斜面の間にはある程度の距離もあり、どう見ても無駄な工事としか考えられない。
自然のままの美しい北海道の姿は、このようにして年々破壊され続けているのだ。言い様の無い悲しさと怒りがこみ上げてきた。
オホーツク海を南へ走るにしたがって、次第に風も弱まり霧も晴れてきた。
猿払の道の駅を過ぎた辺りで、突然まっ黄色に染まった牧場の風景に出くわした。ミヤマキンバイの大群落だ。
何故こんな場所で群落を作っているのか不思議だったが、この素晴らしい風景にはそれほど感動することは無かった。
我が家の庭では、ミヤマキンバイは他の花を押しつぶしながら次々と広がっていく雑草扱いされている花なのだ。
クッチャロ湖畔キャンプ場へ着いた頃は5時を少し回っていた。
このキャンプ場へ泊まるのは9年ぶり、我が家のこれまでのキャンプ旅行の中では最も長い、6泊7日の日程で道北を廻ったときに泊まった場所だ。
当時は息子も小学1年生で、ほのぼのとしたファミリーキャンプの楽しい思い出が一杯詰まっている場所でもある。
息子にナイフの使い方を教えていて自分の指を切ってしまうという、情けないパパぶりを発揮したのもここだった。
次々と、古い昔ながらのキャンプ場が新しく作り変えられていく中で、ここは9年前の姿がすっかりそのまま残っていた。
テントを張り終えてゆっくりとあたりを見回すと、9年前にテントを張ったところとほとんど同じ場所なのに気がついた。テントの横に生えている木も、湖畔にポツンと1本だけ立っている木も、不思議なくらいその時と全く同じ姿のままだ。
ここのキャンプ場ご自慢の、夕日で真っ赤に染まったクッチャロ湖の姿も今日は見ることができないが、それでも心を和ませてくれる何かがこのキャンプ場にはあるような気がする。
もっと景色が良かったり、もっと環境が優れているキャンプ場は他にも沢山あるが、私は何故かここが好きだ。
その理由を上手く説明することはできないが、旅の途中にここに泊まることがあれば、きっと解ってもらえるだろう。
ひっそりと静まったクッチャロ湖の姿を眺めながら、バーベキューに箸を伸ばす。
晴れていた霧が、また静かに湖の上に広がり始めた。
食事を済ませて、キャンプ場に隣接している温泉で旅の疲れを癒すことにする。
風呂から上がってサイトに戻ってきた頃には、場内はすっかり霧に包まれてしまっていた。
気温は9℃、湯冷めしないようにたっぷりと服を着込んだ。これで一番上のジャケットを冬用のものに変えたら、マイナス30℃の朱鞠内湖でキャンプをしたときと殆んど同じような服装だ。
ワインを飲みながら、二人で今回の旅の思い出を語り合った。
4泊してこれが4本目のワインになる。それほどお酒の量を飲まない我が家にとって、この本数は大したものなのである。旅行中はずーっと気温が低かったので、ワインで体を温めるしか無かったのだ。
翌朝、目を覚ますとテントの中がやたら明るかった。
今回のキャンプ旅行では初めての、青空が見える朝だった。
クッチャロ湖にはやっぱり青空が似合う。後ろの林からは小鳥のさえずりが聞こえ、遠くからは牛の鳴き声も聞こえてきた。
キャンプ最終日を祝ってくれるような、のどかな朝である。
朝食後、ゆったりとコーヒーを飲みながら、デジタルカメラの写真の整理を始めた。今回の旅行には128MBと32MBの記録メディアを用意していたが、礼文島で花の写真を撮りまくったため、既に一杯になってしまっていたのだ。
液晶画面でプレビューしながら、要らない写真を削除しているときに事件は起こった。
突然、小さな液晶画面の中に「フォーマットして下さい」との文字が現れたのだ。
「エッ?エエッ?どうして??」
驚いて、スイッチを入れ直したり、記録カードを挿し直したりしてみたが、一向に事態は改善しない。体中の力が抜けていくのが感じられた。
よりによってトラブルに見舞われたのは128MBの方、礼文島を中心に写した200枚以上の画像データが一瞬にして消えてしまったのだ。
すっかり落ち込んでしまった私の様子を見て、妻が、「パソコンからなら、見られるんじゃないの」なんて慰めを言ってくれるが、無理なことは解っていた。
それでも、こんな機械のトラブルのために、せっかくのキャンプ旅行最終日がつまらないものになってしまうのは心外だ。
何とかして、この落ち込みを取り繕うような良い考え方は無いだろうか。
「写真がダメになったとしても、礼文島へ渡った事実までが消えてしまうわけではないだろう。礼文島の美しい風景はずーっと君の心の中に残っているじゃないか」
そう自分に言い聞かせても、やっぱりダメだった。
こうなったら、妻の慰めを聞き入れて、家に帰ってパソコンに繋いだらデータが復活するかもしれないと考えることにしよう。もしもダメだったら、その時に本当に落ち込めば良いのだ。
ようやく気を取り直すことができた。
最後の後片付けを済ませて、キャンプ場を後にした。
近くのベニヤ原生花園へ寄り道する。
散策路を歩いていると小鳥の声に包まれてしまうようだ。
小高い丘に登るとスズランが一面に花を咲かせ、その中ではエゾカンゾウやヒオウギアヤメの花がアクセントをつけていた。
私が子供の頃、家の近くにはここと全く同じような感じの野原があった。
そこでスズランやアヤメの花を摘んだ記憶がよみがえってきた。
道はまだ先まで続いていたが、そこでそろそろ引き返すことにした。
相変わらず原生花園は優しい空気に包まれている。
しみじみと思った。
「あー、帰りたくないなー・・・」
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