私が礼文島へ渡るのは、かれこれ四半世紀ぶり、学生時代に礼文島の民宿で1ヶ月ほど住み込みのアルバイトをしていた時以来になる。
その時は港と民宿の間を往復するだけで、結局島内の観光地は一度も見ること無しに終わってしまった。何故かその頃は観光地を見て回ろうという意識は殆ど無かったのだ。
時の流れを感じながら、次第に大きくなってくる礼文島をフェリーの上から見つめていた。
その礼文島は低い雲に覆われ、花の浮島といったイメージからはほど遠いものに感じられた。
港では、昔と同じく桃岩YHの若者が旗を大きく振って出迎えてくれている。しかし、昔と同じだったのはそれだけで、フェリーを下りた町の風景は大きく変わってしまったような気がした。
ちょうど昼時だったので、港の近くの「さざ波」という店に入る。ここは、ジャンボソフトクリームで有名な店と言うことだ。
礼文と言えば、普通はまずウニ丼ということになるが、我が家の場合、それほどウニには執着していない。確かに殻を割ってそのまま食べるウニは美味しいが、何時採れたものかも解らない黄色いウニの身がどっさりと乗った丼を見ても食欲がそそられないのだ。
それに妻ははっきりとウニ嫌いだったりする。
その日は海が荒れて漁船が出なかったとのことで、あまり美味いものは食べることができなかった。せっかくの礼文島、帰るまでには新鮮な海の幸を食べてみたい。
食事を済ませて、早速緑ヶ丘公園キャンプ場へと向かう。
最初は久種湖畔キャンプ場に泊まる予定だったが、調べてみると犬を連れていると泊まらせてもらえないというのだ。
ビックリして確認の電話をしてみたところ、冷たい口調で「ペットは禁止しています」と言い放たれてしまった。だめ押しで、「もう一ヶ所のキャンプ場もペットは禁止されています」との言葉だ。
礼文島にはキャンプ場は2ヶ所しかない。これでは、犬連れキャンパーは礼文島へは来るな、ということではないか。そんな馬鹿な話があるのか。
そんな気持ちでもう一つの緑ヶ丘公園キャンプ場に電話をしてみると、電話に出たおばちゃんが「役場では禁止と言っているけれど、せっかく遠くから来てくれるのだから、他の人に迷惑さえかけなければ黙認しているんですよ」との優しい返事をしてくれた。
ホッとした。これで礼文島へ渡ることができる。
礼文町の役場の見解でも聞いてやろうかとも考えたが、せっかくの気遣いをしてくれた管理人のおばちゃんに迷惑がかかるかも知れないので、ここは我慢することにした。
キャンプ場ガイドによると、ここは完全な一人旅向きのキャンプ場のことである。そんなキャンプ場にファミリーで泊まるのはどうも気が引けてしまう。でも、そこに泊まるしか方法はないのだ。
キャンプ場へ向かう途中、セイコーマートというコンビニが有ったのにはビックリした。当然、島にはコンビニなんか有るわけないと思っていたのだ。
キャンプ場へ到着して、早速おばちゃんに犬の件でお礼を言う。とても優しい感じの管理人さんだ。
リヤカーに荷物を山積みにしてサイト入り口の坂道を降りようとすると、荷物の重さでリヤカーに引きずられてしまう。
最近はかなりキャンプグッズも減量したつもりだが、それでもソロキャンパーと比べるとその差は歴然としている。ズルズルズルと坂道を滑っていくのはとっても情けないのだ。
ここのキャンプ場では各サイトが木製のテラス風になっている。ところがそれらは、全て長期滞在風のキャンパーで塞がってしまっていた。後は芝生の部分にテントを張るしかないのだが、小さなキャンプ場なのでそのスペースも僅かしかない。
何時もは殆ど人のいない広々としたキャンプ場で、自分の好きな場所に自由にテントを張っているものだから、この状況にはかなり戸惑ってしまった。
結局、キャンプ場入り口の直ぐ横に遠慮がちにテントを張ることにした。
すると、キャンプ場には似つかないスーツ姿で場内をウロウロしていた人が、「そこはちょうど平らになってるから良い場所ですよ」と声をかけてくれた。
誰なんだろうこの人?、どう見てもキャンパーには見えないのだが。
テントを張り終えてホッと一息ついたが、勝手が違って何時ものような落ち着いた気分になれない。知らない家に遊びに来たような気分だ。
それでも、その知らない家の人達は、顔を合わすたびに気軽に挨拶してくれる。
そのうちに次第にここの雰囲気にも馴染んできて、最初は「こんにちは」だった挨拶が、「行ってらっしゃい」、「お帰りなさい」等と、本当に家に住んでいるような感じに自然と変わってきた。
礼文島は車で一周することができないので、花の綺麗な場所などを見るためにはどうしても歩かなくてはならない。
その覚悟はできていたが、島の大体の雰囲気をつかむために車でちょっと一回りしてみることにした。
とりあえずは北のスコトン岬を目指すが、島の道路はとても狭い。所々は、センターラインが引かれた2車線の道路になっているが、他はほとんど1車線の曲がりくねった道だ。
民家がギリギリまで迫っているようなそんな道路を、地元のドライバーは結構なスピードで走っている。これでよく交通事故が起こらないものだと感心してしまう。
スコトン岬の駐車場には大型バスがずらりと並んでいた。
今回の我が家の礼文島へ来た目的はただ一つ、花の浮島礼文島が一番美しいと言われるこの時期に、お花畑の風景を楽しむことだ。
観光名所にはそれほど興味が無いので、とりあえず写真を1枚だけ写して早々にそこを後にする。
もっとも、低く垂れ込めた雲と体を飛ばされそうになるくらいの強風のために、とてもそこでのんびりとする気にはなれなかった。
丘の上へと続く道路があったのでちょっと入ってみたが、初めてそこで礼文島の片鱗を見ることができた。
宗谷丘陵を思わせるような、木が1本も生えていない緑の丘の連なりと、その斜面に咲き誇る色とりどりの野の花達。
素晴らしい景色だ。ただ道路が狭い。ガードレールも付いていないので、ちょっとハンドル操作を誤るとそのまま海まで転げ落ちそうな感じだ。
そんなところまで、大型の観光バスが入ってくる。
これでは、のんびりと花を楽しんでいる余裕は無い。やっぱり礼文島は歩いてゆっくりと周るところだ。
その後は、ゴロタ浜、澄海岬、桃岩等、車で行けるところを一通り周って、キャンプ場に戻った。
途中、新鮮な海の幸でも仕入れて夜の酒の肴にでもしようと思ったが、漁協の直売所は閉まっているし、海産物の看板がかかった店に入っても乾物しか置いていない。
漁に出ていないのでしょうがない部分もあるが、大体にしてこのような港町には魚屋が無いのである。
魚は漁師から分けてもらう物なのだろう。
結局その夜の肴は、コンビニで仕入れた缶詰とエダマメになってしまった。
暗くなった頃、スーツおじさんが帰ってきた。何だか食材を沢山仕入れてきたようで、隣にテントを張っていた若者達にテキパキと指示をしながら、料理をはじめたようである。
話を聞いていると地元の人みたいな感じだが、やっぱり謎の人物だ。
翌日の礼文島トレッキングに備えて早めに眠りについた。
その日の朝も相変わらずの曇り空だった。せっかく憧れの礼文島へやってきたと言うのに、何とも恨めしい空模様だ。ただ、雨が降らないということがせめてもの慰めである。
のんびりと朝のコーヒーを楽しむ。
今日で帰る人、山登りの身支度を整えて出発する人、スーツ姿のおじさんも何処かへ出かけていった。
皆に声をかけて、見送りをする。
そのうちに、キャンプ場からはほとんどの人がいなくなってしまった。そろそろ我が家も準備をすることにするか。
お昼のお弁当をコンビニまで買出しに行ったが、朝の8時半頃なのに、新聞やお弁当の棚が空っぽである。さすが離島のコンビにだと、変なところに感心してしまった。
おにぎりだけはその店で作っているらしく、何とかお昼の用意だけはすることができた。
(この後の礼文島トレッキングの様子は後日アップ予定)
トレッキングから戻り、香深にある「北限の湯」という銭湯に入ることにした。
かなり汗をかいたので、どんな風呂でも良いから汗だけは流したいという気持ちで入ったのだが、これがなかなかの銭湯だった。湯船はバイブラバス、お湯もコンコンと流れ出して下手な温泉に入るよりも快適なくらいだ。
汗を流してすっきりとしたが、さすがにこれから夕食の準備をする気力は湧いてこなかった。
コンビニ弁当で済ますことにする。今日も漁協の直売所は開いてなかったので、今夜の酒の肴は、コンビニで仕入れた笹かまぼこだ。
礼文島で笹かまぼこを食べながらワインを飲むことになるとは思っていなかった。
夜の気温は10度、風もあるのでテントの中に入っていないと寒くてしょうがない。
笹かまぼこを食べながら寂しくワインを飲んでいると、テントの外から呼ぶ声が聞こえた。
何だろうと思ってテントの入り口をあけると、あのスーツおじさんが立っていた。さすがにもうスーツは着ていなくて、普通のキャンパーの姿になっている。
今日獲れたばかりのホッケを下ろしたものを差し入れしてくれたのだ。
チャンチャン焼きにすると本当に美味しいからと、作り方を説明してくれる。急で用意もしてないだろうからと葱までつけてくれた。
生憎、味噌が無かったのだが、あり合わせの材料で洋風ちゃんちゃん焼きが完成した。笹かまぼこだけの寂しい晩酌が、突然、豪華な食卓に変身した。
アッという間に食べ尽くし、「とても美味しかったです」とお礼を言いに行ったら、今度は「今日釣ったイワナの塩焼きがあるから、これも食べなさい」とまたまた差し入れをもらってしまった。
すっかり腹一杯になって、シュラフに潜り込んだ。隣から話し声が聞こえてくる。若者の一人が、スーツおじさんに指導してもらいながら昆布干しの仕事をするため履歴書を書いているみたいだ。
頼りなさそうな若者だったので、ハードな昆布干しが務まるのだろうか。いや、きっとそうやって若者達は逞しくなっていくんだろう、等と想いながら、昼間の疲れで深い眠りに落ちていった。
翌朝もまた曇り空、キャンプ旅行に出てからなかなか爽やかな朝日を浴びることができない。
その朝、ついに謎のスーツおじさんの正体を知ることができた。その正体は、なんと某有名保険会社の社員、毎年5月頃から島に渡って来て、漁師さん相手の保険の外交をしているとのことだった。
最初の頃は民宿を利用していたが、やっぱりキャンプ場が一番気楽と言うことで、ずーとキャンプ場に泊まりながら仕事に出ているそうだ。
全く、驚いてしまうと言うか、羨ましいと言うか、さすが礼文島、色々なキャンパーがいるのだった。
その日の朝食のメニューはお手軽にインスタント雑炊、今回のキャンプではいつもにまして手抜き料理ばかりである。
ところがまたまたスーツおじさんがやってきて、「昨日作ったけれど誰も食べなかったので、良かったら食べてください。」と、ホッケのあら汁を持ってきてくれた。おまけに、お土産にと言うことで礼文島名物「糠ボッケ」までもらってしまった。
このあら汁がとっても美味しい。山で採ってきたというキノコまで入っていて、またまた豪華な食事をとることができた。
片付けを全て終わって、いよいよキャンプ場ともお別れだ。スーツおじさんにお世話になったお礼を言って出発しようとしたら、「アッ、ちょっと待ってて」、テントの中でゴソゴソしていたかと思うと干した礼文昆布を引っ張り出してきて、これも持って行きなさいと言ってくれる。
いやいや、本当にお世話になってしまった。結局名前も聞かずに別れることになってしまったが、また礼文島に来る機会があれば、その時はゆっくりと一緒にお酒を飲んで色々な話を聞かせてもらおう。
きっとまた、スーツ姿でキャンプ場から仕事へ出かけているはずだ。
午前中は桃岩遊歩道を軽く歩いて最後の礼文島を楽しみ、午後1時出航のフェリーに乗り込んだ。
港では、四半世紀前そのままに、桃岩YHの若者達が歌と踊りで見送りしてくれている。
たった3日間島にいただけなのに、フェリーが岸壁から離れ、若者達の姿が小さくなっていくのを見つめていると、たまらなく寂しくなってしまった。
またここに帰ってこよう、礼文島は旅人をそんな気持ちにさせる島だった。
デジカメトラブルにより、最後の方の写真しか写っていません。(;_;)
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