北海道キャンプ場見聞録
天塩川(2019/07/15)
ダウン・ザ・テッシ-オ-ペッ2日目(音威子府村カヌーポート~中川町誉大橋イベント広場)
出発式、音威子府村村長の挨拶
ゴール地点の中川町へ車を移動し、そこから臨時バスに乗って音威子府村まで戻ってくる。
川の駅「中の島」での出発式を終え、午前9時15分に舟を出す。
今日は出艇もスムーズで、9時25分に一斉スタート。
今日は最初から先頭付近で下るつもりだった。
スタート地点は大きなエディになっていて流れが無い。
殆どの舟はそこに留まっていたけれど、私たちは川の中央付近、流れの速い本流近くでスタートの合図を待つ。
そして合図と同時にその本流に乗って、一気に先頭に躍り出ようとの作戦である。
集団から距離をおいて川の中央部付近からスタート
頑張って漕いで、ほぼその作戦通り先頭近くに出ることができた。
音威子府大橋を過ぎてしばらく下ると、天塩川は音威子府渓谷の中へと入っていく。
山に挟まれた中を天塩川が蛇行しながら流れていくのである。
音威子府村から中川町までの区間は、22年前に息子と愛犬も乗せて下った、我が家にとって思い出の場所でもある。
当時の記憶は殆ど残っていないけれど、強い日差しに晒され、佐久から先は向かい風に苦しめられ、音威子府渓谷の中で流れの無い瀞場に途方に暮れたことは何となく覚えている。
音威子府渓谷の瀞場、白い泡が気になる
音威子府渓谷の中で最初に出迎えてくれたのは、その瀞場だった。
淀んだ水の上に、まるでそこに微かな流れがあることを示してくれるかのように、白い泡が浮いていた。
見ようによっては、緑の芝生の上に白い花が咲き乱れているようにも見える。
しかし、大きく膨らんだ泡も混ざっているのを見ると、それは水の汚れが生み出した副産物としか思えなくなってくる。
22年前に下った時は、川の水からし尿の臭いも漂ってきたけれど、最近は堆肥場の管理も厳しく指導されるようになってきたので、さすがにそんな臭いはしてこない。
皆で固まって下っていく
川が渇水状態の時は、水の濁りも少ないものである。
何時も濁っているイメージの天塩川でも、浅瀬では川底の石が確認できるくらいに棲んでいる。
誰かが「こんな綺麗な川は見たことが無い」と感動していたけれど、その方は天塩川しか下ったことが無いのかもしれない。
途中に素直な瀬が一か所。
カヌーが結構大きく跳ね上げられ、楽しく下れる。
そこを過ぎると直ぐにまた瀞場だ。
楽しい瀬もある
この日は、音威子府渓谷の中にある松浦武四郎の北海道命名の地に上陸し、全員で記念撮影することになっていた。
そのために先導艇も、後方の舟と差が広がり過ぎないようにゆっくりと下っていく。
そうして北海道命名の地に上陸したが、記念撮影と言っても200人以上が集まるので、簡単にはいかない。
全員が上陸して、記念撮影して、そしてまた下り始めるのに、軽く20分以上はかかってしまう。
北海道命名の地、ここに200人以上が集まって記念撮影
撮影を終えて川の上に出ている時、稚内行の特急宗谷が丁度通りかかった。
私たちが川の上から手を振っていると、宗谷の乗客の方々もこちらに向かって手を振ってくれる。
運転手さんは汽笛を2度も鳴らしてくれた。
川の旅人と鉄道の旅人の心が通い合う、素敵な瞬間である。
列車の中から川にカヌーが沢山浮かんでいる様子を見てみたい
そこから先は、山が迫る音威子府渓谷の風景を楽しみながら下っていく。
もっとも、そんな風景を楽しんでいる余裕は殆ど無いのが、本当のところだ。
ゴールを目指して、ひたすらパドリングを続ける。
記念撮影を終え再スタート
音威子府渓谷を下る
途中にコンクリートの橋脚が残っていた。
昔、そこには神路と言う集落が有り、吊橋がかかっていたらしい。
その吊橋ができるまでは、神路集落へ行くには天塩川を舟で渡るしかなく、やっと完成した吊橋はその年のうちに強風により落橋してしまい、住む人もいなくなったとのこと。
スタッフの方からそんな話を聞きながら、そんな場所に入植するしかなかった先人の苦労に思いを馳せる。
神路集落の痕跡は今となってはこの橋脚だけ
時々瀬も現れ、その度に一列縦隊の指示が出される。
そんな指示が出ると、スタッフではない人からも「一列になりましょう!」との声が上がる。
「いやいや、そうじゃなくて、もっと前方に注意を払った方が良いんじゃない?」と思ってしまう。
後ろの方で下っている人達の方が、もっと自由に下っているような気がする。
そこで「一列になって」と指示しても、「えっ?そんな難しいこと言われても無理です~」との答えが返ってきそうだ。
少なくとも、前の方で下っている人達のスキルならば「この先に瀬があるから注意してください」程度の指示で終わらせ、何処を下るかは各自の判断に任せれば良いのじゃないだろうか。
我が道を行くつもりで漕いでいたら・・・
しかし、そうやって自分で判断しながら川を下った経験のある人は参加者の中には少ないのかもしれない。
各自のスキルもバラバラな100艇以上のカヌーを、安全に誘導しながら下らなければならないスタッフの方の苦労を察してしまう。
クラブの例会でも、参加者が30艇くらいになると、それを誘導するだけでも大変なのである。
そんな感じで集団から少し離れて漕いでいると、途中の瀬で少し浅い流れの方に入ってしまった。
一列縦隊の集団は、本流に乗ってあっと言う間に私たちを追い抜いていく。
かみさんが「何やってるのよ!」と言いたげな怖い表情を浮かべて後ろを振り返る。
二人で漕いでいるはずなのに、少しでも失敗すると、その責任は全て私にあるらしいのだ。
ルートミスでどんどん追い抜かれていく
その先も小さな瀬が次々に現れる。
コース取りで遅れを取り戻そうとするが、そんなに都合の良い流れが常にあるわけではない。
そうなるとパドリングで遅れを取り戻すしかなく、必死に漕ぎ続けるものの、一度開いた差は簡単には縮められない。
かみさんも次第に腕が上がらなくなってきたようだ。
私たちは逆サイドを漕ぐのが苦手なので、常に同じ側ばかり漕ぐしかない。
筋肉の同じ場所に負担がかかり続けるので、余計に疲れるのである。
渦やボイルの激しい流れもあり気は抜けない
北海道命名の地を出発してから、全く休み無く漕ぎ続けている。
今日の昼食はゴールに着いてから。
ゴールの予定時間は午後2時。
その時間通りに着くことは全く不可能としか思えない。
途方にくれながら漕ぎ続けていると、ようやく佐久で休憩が入った。
腹の足しになるようなものは何も持ってきていなかったけれど、たまたま昨日の交流会の時にもらった羊羹があったので、それで少しだけエネルギーを補給できた。
佐久では、先頭から1時間以上遅れた艇はそこで足きりとなる。
「このままここで1時間休んでいれば、車でゴールまで送ってもらえるね」と話していると、15分程度で再スタートとなる。
本当はもっと早めに出発して、のんびりと下りながら距離を稼ぎたいところなのだが、先導艇より先には下れないのが辛いところだ。
佐久の休憩地から再スタート
再スタート後は先導艇の後ろにピタリと付いて遅れないようにする。
それは他の艇も同じ考えらしく、先導艇の後ろで団子状態になりながら下っていく。
団子状態になっていても、先導艇を追い越さない範囲でお互いに競り合っているように見える。
競争ではないと言いながら、こうなると他の艇には負けたくないのが人情である。
自然と競争が始まる
去年は後ろの方を下りながら「きっとシーカヤックが先頭のペースを早くしているのだろう」と思っていたが、今回は回りはほとんどがカナディアンである。
今年は水量が少なくて浅瀬が多いので、シーカヤックには厳しい状況なのかもしれない。
そんなカナディアンに周りを囲まれながら、同じクラブのI倉さんが小さなプレイボートで下っている姿が何だか可笑しい。
去年はダッキーのような舟に乗って、向かい風の中、先頭から遅れることなく下っていたのだから大したものである。
本人曰く、カナディアンの陰に隠れて風を避けているのだとか
今日もまた向かい風が吹き始めた。
かみさんが辛そうなので「もう先頭に付いていくのは止めて、ゆっくりと下ろうか」と声をかけると、「早く川下りを終わりたいからこのままで良い」と意味の分からない答えが返ってきた。
ゴールは中川町の誉大橋下流の河川敷。
その一つ手前の橋では、橋の下流に岩が出ているらしく、ここも一列縦隊で下っていく。
すると、前を下っていたカナディアン2艇が続けて座礁するのが見えたので、直ぐにルートを変えてその横の流れに入る。
前の舟が座礁し、慌ててルートを変える
そのまま下っていくと先頭から2番目になっていた。
すると先導艇から、「ゴールの上陸場所が狭いので、その2艇、先に下ってください」と言われる。
ゴールの言葉を聴いて急に元気が出来てきた。
一気に先導艇を追い越してゴールを目指す。
先に行ってと言われ張り切ったけれど・・・
私たちの前を下っているのはカヤックの2人艇。
さすがにダブルパドルの舟には追い付けず、徐々に差を開けられる。
相変わらず向かい風が吹いているけれど、先に行ってくださいといわれた手前、頑張って先にゴールして上陸しなければならない。
しかし、ゴールは誉大橋の下流。
その誉大橋が全然見えてこないのだ。
全力で漕ぎ続けるのにも限界がある。
横を向くと、男性二人の乗ったカナディアンが迫ってきているのが見えた。
それでもう先にゴールするのは諦めて先を譲ることにしたのである。
青空が広がり、誉大橋がやっと見えた
結局、ラストスパートをかけた場所から誉大橋までは約2キロもあったのである。
これでは漕ぎ続けられるわけが無い。
次々に追い越されながらも、午後2時30分、ようやくゴールに到着。
既に体力は殆ど残っていなくて、スタッフの方に手伝ってもらいながら河川敷までカヌーを引き上げる。
やっとゴールに到着
こうして二日間57キロを下りきって、今年のダウンザテッシを終えたのである。
天塩川を河口までの100マイルを下るとテッシ-オーペッ・マスターとして認定される。
去年はその100マイルを4日間でくだり、本来ならば1年でマスターになれたのだけれど、2日目が中止になってそれは叶わず。
今回、その残っていた分を下ったので、晴れてマスターとして認定証を頂くことが出来た。
青空の下でダウンザテッシ閉会式
それにしても、2日間かけて下ってもこれだけ苦労したのに、去年はこの距離を1日で下ろうとしていたのである。
去年の水量ならばもしかしたら可能だったかも知れないが、今年のような水量ならば1日では絶対に無理だと思われる。
でも、100キロマラソンだって完走は絶対に無理だろうけれど、挑戦する価値はあるのである。
もしももう一度ダウンザテッシのスペシャル大会があれば、1日57キロにもチャレンジしてみたい気はする。
ただ、かみさんからは「もう2度と天塩川は下らない」と言われそうだが。
(当日12:00天塩川水位 音威子府村茨内観測所:35.05m)
(中川町誉平観測所:8.64m)